2013年10月8日火曜日

「先生!やる気が出ないんです」

卒業研究の追い込みの時期。

4年生は、ほぼ1日中、演習室で卒業研究に取り組んだ。



(↑ ゼミが始まった演習室前の様子)




 (↑ 当日の演習室の様子)



途中A男が演習室を抜け出し、外の階段に腰を下ろして携帯をのぞいている。

どうも彼女とトラブルがあったらしい。

気持ちのやさしいB子が声をかけた。

「よかったら、話を聞こうか」

A男はそれを断り、気持ちが落ち着いたら皆のところに戻ると答えたという。

まあ男と女が2年間つきあえば、いろいろな時があるさ。

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しばらくして、今度はC男が研究室にやってきた。

C男 「先生、卒業研究、あの部屋では、やる気がでないんですけど」

先生 「どうして?」

C男 「皆と一緒にいると、遊んでしまって…」

先生 「そしたら、自分の部屋でやるんだな。」

C男 「でも、一人だけではできなくて、誰かそばにいないと…」

先生 「ふむ…」

皆がいれば一緒に遊んでしまうし、そうかと言って、一人でもだらだらしてしまって、できないというのだ。

学生なら誰でもこのような状況は経験したことがあるだろう。

先生 「つまり、卒業研究をする環境がベストでないと、なかなかできないということを言いたいのかな。」

C男 「まあ、そういうことになるのかな」

先生 「環境がベストであろうとなかろうと、気分がよかろうと悪かろうと、それなりにパーフォーマンスを維持することが大切だと思う。

C男 「……」

先生 「一流のスポーツ選手は、調子が悪い時でも、それなりの競技成績を出しているのではなかろうか。」

C男 「確かに、そうかもしれません。」

先生 「ゼミ生のD子をみてごらん。皆と一緒に遊ぶときもあるけど、着実に卒業研究を進めている。」



(↑ D子は、この日アイスを食べながら卒論に取り組んでいた。) 

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その夜、お風呂に入っている最中に、ぼんやりC男との会話を思い出していた。

そしてふと思った。

「気分がよかろうと悪かろうと、それなりにパーフォーマンスを維持することが大切」

今日、C男に言ったこの言葉。

昔、誰からか、言われたような気がする…

そして思い出した。

遠い学生時代のことを…

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当時、大学4年生だった。

進路のことで悩み、ゼミも欠席がちだった。

ある日の日曜日の午前中、ゼミの先生から電話がかかってきた。

今からすぐに研究室に来いという。

しぶしぶ、日曜日にもかかわらず、大学に向かった。

先生は怒るでもなく、先生が好きな研究者であるヴィクトール・フランクルの話をし始めた。

アウシュビッツ強制収容所での体験をもとに、名著「夜と霧」の著した精神医学者である。

先生の話の骨子は今でも覚えている。

「街はずれの靴屋のおっさんは、なぜ生きているのか」という命題についてだった。

街はずれの靴屋のおっさんよりも、高度な技術を持っている靴屋はたくさんいる。

自分よりも優れた靴屋はたくさんいるはずだから、その靴屋のおっさんは自己嫌悪になるはずだ。

そして自分の価値を認められず、靴屋をやっていても仕方がない、生きていても仕方がないと思うかもしれない。

しかし、その靴屋のおっさんは靴屋を続け、生きていこうとする。

その理由を、おまえは分かるかというものだった。

そしてヴィクトール・フランクルの生きていくための3つの価値について説明してくれた。

簡単に言えば、次のようなことだ。

その靴屋のおっさんは、自分なりに技術が向上することや、お客さんの喜んでくれることを通して、靴屋として生きる意味を見い出している。

つまり、生きる価値というものは、他人と比較するのではなく、自分で創造するもの。

だから、街はずれの靴屋のおっさんでも、靴屋を続け、生きていこうとする。

おそらくゼミの先生は、悩んでいる私にヒントを与えようとして、このような話をしたのであろう。

そしてこう言った。

「悩んでいても、どんな精神状態であっても、やるべきことは着実にやって、パーフォーマンスを下げないことが大切だ。」

この言葉は、私のその後の人生に影響を与えた。

だって、この言葉は、私の人生訓のひとつとなっているから。

ただ学生時代にゼミの先生から言われた言葉だったとは、すっかり忘れていたが…

自分の学生時代に、ゼミの先生から言われた言葉を、今こうして、自分のゼミの学生に言っている。

教育って、こうやって次の世代に引き継がれていくのだなと、妙に実感した。

C男が、将来自分の目標を実現させ、飲食店を経営するようになった時、きっとバイトの学生に言うことだろう。

気分がよかろうと悪かろうと、それなりにパーフォーマンスを維持することが大切であると。












2013年9月30日月曜日

ゼミ生の言い訳

ある日のゼミ生との会話。

先生 「昨日のゼミ、さぼったな。寝坊だろう。」

A子 「さぼりではありません。朝7時から起きていました。」

先生 「じゃあ、なんで来なかったんだ?」

A子 「ゼミに行きたくなくて…」

先生 「それ、さぼりだろう。」

A子 「違います!」



A子は、ゼミに行きたくなくて休んでも、それはさぼりではないと言う。

これを聞いたとき、少し戸惑った。

たとえば病気のためにゼミを欠席したのなら、さぼりではない。

やむを得ない理由だからだ。

でも「ゼミに行きたくない」という理由は、やむを得ないと言えるのだろうか。

おそらくA子は、こう言いたかったのではないか。

ゼミに行きたくなかったのは、単なる怠慢な気持ちではなくて、あることについて真剣に悩んでいたからだ。

体の調子を崩して熱が出るように、心の調子を崩して、ゼミに行くまでの精神力が出なかったのだ。

いわば心の調子を崩していた訳で、怠慢ではない。

したがってさぼりには当たらない。

こう考えると、A子の主張もわからなくもない。

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実は私も大学時代、よく授業を欠席していた。

今でも覚えているが、授業をさぼって、クラスの皆が授業を受けている2階の教室の下を歩いたことがあった。

「俺は今日から新しい自分になるんだ」と自分に言い聞かせながら。

その頃の私は悩みがちで、時々ヤケになって切れていたので、皆から「小型爆弾」などと言われていた。

悩んでいたことは、いつも些細なことだった。

友人から「おまえって、〜という性格だな」と言われただけで傷ついたり、やる気の出ない自分にイライラしたり…

自分を変えたくて仕方がなかった。

当時の自分は、授業を欠席することを「さぼり」だとは認識していた(ここはA子と違う)。

しかし「いけないことをしている」という認識はまったくなかった(ここはA子と同じ)。

どこかで授業をさぼっている自分を許していた。

悩むということは自分を見つめる作業であり、どこかで大切なことをしているという意識があった。

そのためだろうか、夜、アパートで一人であれこれ考えながら酒を飲むのが好きだった。

自分の性格について考える静かな時間だった。



(大学時代、私が住んでいたアパート)



その時ふと、大学を卒業してどこかの街に住んで、十数年がたったとき、大学時代のこんな生活も懐かしく思い出すのだろうなと思ったことがある。

実際にそのとおりだった。

特に今の年齢になってみると、当時の自分を思い出すと、懐かしく、そしていとおしく感じられる。


おそらくA子も、このような感覚で悩んでいるのではなかろうか。

A子には、「ゼミを休んでだめじゃあないか」という雰囲気で接したが、そう言いつつもA子を責める気持ちにはなれなかった。

でもね、A子、ゼミは休んではだめだよ。


2013年9月21日土曜日

疲れても演習室の掃除〜卒業研究中間発表が終わる〜

今年も卒業研究中間発表会が終わった。

改めて感じたことは、笹竹ゼミのテーマがバラエティに富んでいること。

スポーツ選手のあがりとか、体罰を問題視しない傾向などは卒業研究の定番で、毎年取り上げられる。

今年は、イルカセラピーをテーマにして、実際に香川県まで体験してきた学生がいた。

また学歓ホールのイメージを学生にアンケート調査し、それに基づいて学歓ホールの音楽を実際に作曲した学生もいた。

このように、テーマはさまざま。

だから、興味を持って聞き続けられる。



 
 
 
 
 
( ↑ 質問するゼミ3年生)
 
 
 
 
( ↑ 見学する2年生)



この点が笹竹ゼミの大きな特徴かもしれない。

卒業研究のテーマは、かなり学生の主体性に任せている(よいか悪いかは別として)。

学生が必死に考えてきたテーマを、私は「面白くない」とか「面白い」とか言う。

もちろん単なる面白さを問題にしているわけではない。

今後研究として発展する可能性や、テーマの難易度、それに対応した学生の能力などを総合的に、そして一瞬に判断するのだ。

今年は、神◯先生から厳しい指摘があった。

アンケートに逃げていると。

つまり文献をしっかり調べておらず、自分の体験から要因を考えるので、当たり前の要因になっているというのだ。

当たり前のことを調べるので、アンケートをする前から、結果がわかってしまう。

神◯先生の指摘のとおりだと思う。

論文をまとめるときは、データをしっかり解釈して、ユニークな結果を導きたい。


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今年の4年生の卒業研究には苦労している(前回のブログに書いたとおり)。

しかし、今年の4年生の最大の長所は、おどろくほどストレートに自己表現することだ。

皆わかりやすい性格をしている。

裏表がないので、指導は身体的には疲れるが、精神的には気は楽だ。


卒業研究発表会が終わった後、演習室の掃除を4年生にさせた。

あまりにも演習室が汚かったからだ。

どの部分をどのように掃除するべきかのリストを作成し、学生に選ばせた。

その用紙を見せたところ…

「(こんなリストを作るなんて)先生もヒマなのね」と学生。

個別に、具体的に指示しないと、学生はまったく動かないことはわかっているだよ。

またある学生は…

「発表会が終わって疲れているのに、掃除をさせるなんて、先生、鬼だわ」

学生は、もっともらしい理由をつけて、掃除しようとしないことはわかっているのだよ。

疲れていても演習室の掃除。

おかげで演習室がきれいになった。


2013年9月12日木曜日

深夜2時の誕生日パーティー~ゼミ4年夏合宿~

ゼミ4年(ゼミ15期生)の夏合宿が終わった。

4年の夏合宿は、卒業研究の中間発表の練習をする。

おそらくゼミ合宿の中でもっとも精神的にハードだろう。

学生も教員も、けっこう精神的に追い詰められる。

今年は、さらに輪をかけて教員泣かせの合宿だった。

たとえば…

指定した時間どおりに合宿の会場に到着したのはゼミ生の半分で、あとは遅刻。

合宿までにやるべき宿題を出し、やらなかったらペナルティを出すと言ってあったのに、4人がやってこなかった。

発表練習なのに、ポスターを忘れてくるゼミ生も…

合宿中の食事では、皆がそろわないのに、勝手に食べ始めてしまったという残念な出来事もあった。

これらは、例年の合宿ではありえないことだ。

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しかし、この反面、例年では見られない面白い出来事もあった。

男と女のプロレスの試合。

ゼミ15期生は、男子のゼミ生が3人いる。

その中の男子1人に対して、女子2人がプロレスの試合を挑んだ。

なかなか迫力があった。目が離せない。

男子と女子が、畳の上に倒れこんでいる。

男子が、女子一人の首を足で絞め、さらに手を組んで他の女の子の首を絞めている。


(この写真をよく見ると、男1人に女が2人)

両者とも本気の一歩手前のレベルで戦っている。

これが喧嘩にまで発展しないのは、両者が最後のぎりぎりのところで手加減をしているためだろう。

高校生ならば、絶対に大喧嘩に発展するはずだ。

学生たちは、私がこのプロレスの試合をやめさせると思ったらしいが、止めるどころか、ビデオを撮り始めたので、拍子抜けしたようだった。

だって、滅多に見られないからね。

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また女同志で、お尻を回し蹴りすることもしていた。

相手を立たせておいて、もう一方がお尻めがけて、回し蹴りをするのだ。



鈍い音がして、相手が倒れこむ。

かなり痛そうだった。

でも、これはいじめではない。

皆、おもしろがって回し蹴りを受けているからだ。

痛みという身体感覚を楽しんでいるのだろうか。

成長ホルモンが疾風怒濤のように荒れ狂う思春期の男子がやるような遊び。

普通の女の子ならば、たぶんやらないだろう。

こんな遊びに、ちょっとびっくり。


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そして合宿中の誕生日パーティー。

不幸にして、合宿中に誕生日があたってしまったゼミ生がいた場合、誕生日パーティを行うのだ。

実は、ほぼ毎年のように行われている。

学生は、皆の誕生日を大切にしているのだね。

今年は、発表の指導が終わったのが深夜1時30分だったので、午前2時過ぎから開始。

午前2時30分頃、布団の上で皆がケーキを食べた。



(個人情報保護のためぼかし入り。中央の女の子がケーキを持っている。)

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 もう一つ、ほほえましい場面がある。

仕上がりが遅れているゼミ生を、自主的に助けるゼミ生がいたことだ。

教員よりも厳しく指導している。





お互いが助け合ってよりよい発表にしていこうとする姿勢は、このゼミでもっとも重要視していることだ。

自分の発表を仕上げればよいというのであれば、合宿なんてやる意味がない。

このように他のゼミ生を助けようとする姿勢は、すばらしいと思う。

他にも、女子が数人で発表をし合って、わかりにくい点を指摘し合っている場面もあった。

このような状況では、私は一切口を出さない。見守るだけだ。

今回の合宿でも、部屋の戸をそっと開けて様子をうかがい、そして戸を閉めた。

学生たちがいろいろな意見を出し合って、何かを見出そうとしている姿は、とても好きだ。

学生たちが、教師の指導から離れ、自主的に皆で学ぼうとする姿を見ることは、おそらく教師にとって一番の喜びだと思う。

卒業研究の発表でも、教員が指導をしていないことを、自分で工夫して発表に盛り込んでいると、すごく嬉しくなる。

これだから、合宿はやめられない。

(連日、午前1時過ぎまで指導するのは、しんどかったけどね。)

2013年8月25日日曜日

思い出の中のゼミ生(2) 〜晩秋のひるがの高原〜

8月19日に卒業生のゼミ9期生のA子とB子が,
久しぶりに研究室を訪ねて来た。


二人ともすでに結婚している。

私はこの二人の結婚式に出席をした。

ゼミ生の晴れ姿を、私は一生懸命写真におさめている。





(私が撮影しました)
 
 そして現在…

A子は妊娠9ヶ月。もうすぐ出産である。さすがにお腹が大きい。
 

 


B子は8ヶ月の赤ちゃん連れである。
 




 

 ゼミ9期生は仲がよく、とてもまとまりがあった。



そのためか、他の期のゼミよりも、合宿の回数が1回多い。

 

そう言えば、合宿の時、私が…

 「ちょっと自宅に戻る。この合宿先から遠いので、戻って来るのに時間がかかる。」と言ったところ…


私の言葉を疑い、「先生の自宅は、この近くにあるに違いない」と推測して、私の後をつけたゼミ生たちがいた。


実は、歩いて数分の距離に私の自宅はあった。


ゼミ生たちは、私の後をつけ、見失ったが、最終的には私の自宅を探し出したのだった…(すごい執念!)


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A子が赤ちゃんに私を紹介する。

「この人が笹じいだよ。」

確かに年齢的には三世代にわたるが…

ゼミの卒業生が妊娠してお腹が大きくなったり、赤ちゃんを抱いているのを見ると、どうもピンとこない。

私の脳裏には、大学時代のゼミ生の面影が強く残っている。

何年たっても、当時の若々しいゼミ生のままである。

おそらく、青春時代のゼミ生と一緒に過ごした時間を、永遠なものにしておきたいと、無意識的に思っているのだろう。

私の中のゼミ生は年をとらない。

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実は、このゼミには忘れられない思い出がある。

ゼミ生のC子の母が、突然交通事故で亡くなったのだ。

その夜、C子から電話を受け取ったときの重苦しい瞬間は、今も忘れることができない。



私はゼミ生を連れて、C子の故郷に葬儀に向かった。

C子の故郷は、岐阜県と富山県の県境に近い山村であった。


途中、高速道路のひるがの高原のサービスエリアに立ち寄った。


晩秋の澄み切った空気に、山々が凛として清らかな姿を見せている。


深い悲しみに染み入るようだった。


私はずっと見つめ続けた。



 (私が撮影しました)



卒業後、大阪のある会社からもらっていた内定を辞退して、C子は故郷の近くの小さな町で働き始めた。


小さな町の会社なので給料は安く、休日もアルバイトをした。


精神的にも、経済的にも厳しい生活をしているようだった。

年賀状には「貧乏暮らしにも慣れました。」と書かれてあった。




数年後、同窓会が名古屋で開かれた。


故郷から名古屋まで3時間以上かかって、C子は参加した。

「(母が亡くなって)3年がたち、やっと気持ちが落ち着くようになりました。」

C子は元気そうな表情でそう語った。

まだまだ厳しい生活は続いているが、心に少しずつ余裕が生まれ始めている様子であった。


C子には特に幸せな人生を送ってもらいたいと思う。


そしていつの日か、C子の故郷に行く機会があったなら、食事に誘い、いろいろ話をしたいと思っている。


2013年8月13日火曜日

思い出の中のゼミ生(1)~野生的に生きる~

笹竹ゼミの歴史の中で、特に印象深かったゼミ生たちが何人かいる。

夏休みでネタがないので、そのうちの一組のゼミ生のことを書こうと思う。

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とても仲の良い3人がいた。

A子、B子、C子である。

A子は目がパッチリしていて、「喋らず黙っていれば」美人に見えた。

実際に若手の写真家から、モデルを頼まれたこともあった。

B子はリーダーシップがとれる子で、しっかり者。

ゼミの募集の時、「私、ゼミ長になりたいです」と言って、応募用紙を研究室に持参してきた。

C子はずっとガールスカウトをしてきており、人を魅了するオーラを持っていた。

C子の卒業研究発表を聞いた後輩が、「あんな先輩になりたい」と言っていたほどだった。

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この3人の共通点は、かなり個性が強いことと、ぶっ飛んだエネルギーを持っていることだった。

3人集まると、にぎやかで(うるさくて)、積極的(勝手気ままに)になり、活動的(やりたい放題)になった。

たとえば…

研究室にお菓子やパンがあれば、私に無断で食べ尽くした。

机の引き出しに隠してあっても、不思議に探し出していた。

ある時、私がおやつにと楽しみにしていたポテトチップスが被害にあった。

私が会議で研究室を留守にすると…

さっそく彼女たちはポテトチップスを探し出し食べた。

食べ終わると、菓子袋にティッシュを丸めて詰め込んだ。

そしてホッチキスで菓子袋の口をとめ、ばれないように細工をした。

そして元の場所に戻した。

私が会議から戻ると、何食わぬ顔をして、

「先生、会議、お疲れ様でした。私たち帰ります。」

その後、休憩しようと思って、私がポテトチップスを手に取ったところ…

「ん? 何か軽いな。こんなものかな。」

そして袋を破ろうとしたところ、ホッチキスでとめてあるではないか。

よくよく見ると、隙間からティッシュが見えた。

「しまった。やられた!」

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ある時、ゼミで社会見学に出かけた。

確か、裁判所あるいは県警察本部に行ったので、皆スーツを着ていた。

A子は「大人になった気分」などと言ってはしゃいでいた。

そして地下鉄の駅に来たとき…

A子は私に近寄ってくるなり、

「ひでほ~」と甘えた声を出し、強引に私と腕を組んできた。

「俺の方がセクハラで訴えられるからやめろよ」と私。

A子はますます面白がって、「ひでほ~」と連呼していた。

地下鉄の駅は多くの人が行き来しており、私は恥ずかしい思いをした。

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卒業研究の中間発表の時のことだった。

発表中、キーワードを説明した後に、

「さあ、みなさんもご一緒に、せ~の~!」

こう言って、会場の皆にキーワードを声をそろえて言うように促した。

もちろん、声を出してキーワードを言ったのは、笹竹ゼミ4年生だけ。

後の学生たちは、突然のことに、ポカ~ンとしていた。


(この様子を見学した2年生のレポートには…)

「型破りな発表で、はじめはふざけているのかと思った。

しかし内容はかなりまじめだったので、またおどろいた。」

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こんな感じで、3人との戦いの日々が続いていた。

やりたい放題だったので、これまで教育を受けてきたのだろうかと、疑問に思ったほどだった。

私には、野性的に生きているとしか思えなかった。

ただ、いたずらばかりしていたわけではない。

溢れ出るエネルギーをゼミ活動にも向けていた。

ある仮装マラソン大会にゼミで出ることを企画して、皆で衣装を制作し、努力賞を獲得したことがあった。

この時の賞状は、現在も研究室に飾ってある。



 


またゼミ新聞を発行することを企画し、毎月一生懸命制作していた。

この時のゼミ新聞の名残が、現在も研究室のホワイトボードに貼ってある。





卒業時に、ゼミの卒業文集を作成したのは、後にも先にも、このゼミ生たちだけだった。





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卒業式を待つばかりとなった2月初旬、私は研究室で仕事をしていた。

ちょうど机の上には、お菓子が置いてあった。

遠くから女の子たちの明るい笑い声が聞こえてくる。

そして、だんだん研究室に近づいてくる。

「A子、B子、C子だ!」

そう思った瞬間、私はお菓子をさっと掴み、引出しの中に隠した。

自分でもびっくりするほど俊敏な動きだった。

いつの間にか、私の体は、無意識的に反応をするようになっていた。


女の子の笑い声
    ↓

A子・B子・C子に違いない
    ↓

お菓子を食べられる
    ↓

隠さないとヤバイ


やがて、女の子たちの明るい笑い声は、研究室の前まで来た。

そして…

そのまま、女の子たちは私の研究室を通り過ぎて行ってしまった。

「なんだ、A子たちではなかったのか…」

私は安堵した。

お菓子を食べられなくて済んだからである。

そして、こう思った。

「彼女たちが卒業したら、お菓子を隠さなくて済むんだな~。楽になるな~。」

その瞬間、急に激しいさびしさがこみ上げてきた。

もう、彼女たちと会えなくなる。

お菓子を隠さなくて済むことは、別れを意味していた。

その事実が持つ意味が、実感となって私の体を走り抜けた。

野生人のようで、自由気ままなふるまいだったけど、明るくて元気で、気持ちのいい女の子たちだった…

その時、彼女たちとの戦いの日々が、とても愛おしく感じられた。

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ゼミの卒業旅行の二日目、私はゼミ生を残し、先に帰らざるを得なかった。

私の長男の卒業式に当たっていたからである。

卒業式に間に合うためには、早朝6時にタクシーに乗ってホテルを出なければならない。

そのことはゼミ卒業旅行を計画する段階で、ゼミ生は承知していた。

そして前日の夜に、ゼミ生には、午前8時に起きて朝食を食べるように伝えてあった。

翌朝、誰もいないホテルの玄関前で、私はタクシーに乗り込んだ。

ちょうどその時、どこからともなく、ゼミ生たちがタクシーのそばにすーと現れた。


「先生、ありがとう、気を付けてね。」

皆、口をそろえて言った。

私を驚かせようと、どこかに隠れていたらしい。

「あれ~、お前たち…見送りに…」

私はびっくりし、そして感激した。

早朝6時に起きるのは、たいへんだっただろうに…

おそらくあの3人が、私を驚かそうと思って考えたことだろうと思った。

私はタクシーのなかで涙ぐんだ。

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卒業してから、何年かが経ち…

A子は、教員採用試験に合格して教員になった(ちゃんと教員を務めているのだろうか…)

B子は、体育教室の指導者を務めた後、結婚して子どもが生まれた。

C子は、看護師になることを決意して、専門学校に入学し、現在は看護師として勤務している。


3人集まらなければ、皆しっかりできるんだね…。

















2013年8月3日土曜日

研究室へ毒素を抜きに~

7月31日、定期試験の最終日。

本学のある教室で、中学校の保健体育「喫煙と健康」の授業が行われていた。

 
 
 
 

教えているのは卒業生のゼミ8期生の〇〇。今は現役バリバリの中学校の教員である。

その授業を受けているのは現役バリバリの大学3年生、ゼミ16期生である。

中学校での自分の授業をよりよくするために、大学生相手に授業をして、悪い点を指摘してほしいと、〇〇から提案があった。

そこでゼミ3年生に協力をしてもらったのである。

授業が進むにつれて、私は驚いた。

正直言って、〇〇がこんなに授業のテクニックを使いこなしているとは思っていなかったのである。

イメージマップやら糸ミミズの実験やら、EXILE(エグザイル)までも持ち出して、喫煙の話を展開していた。

NHKのテレビ番組「ためしてガッテン」的な演出もしていた。
 
 

ゼミ3年生が教育実習で授業をするとき、参考になるところ満載といった感じであった。

ただゼミ3年生は、まだまだ「教える立場」になった経験が不足しており、この授業の構成のしかた、テクニックにピンと来ていない雰囲気だった。

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授業が終わって学食で皆でランチ。

もちろん協力してくれたゼミ3年生、そして〇〇に私がおごることになっていた(涙)。

食堂のおばさんが、笑いながらなぐさめてくれた。

「先生もたいへんですね。」


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ランチの後、研究室で希望するゼミ生を対象に、〇〇が教員採用試験のアドバイスをしてくれた。
 
 
 
 
 

後日〇〇が語ったところによれば、次のような出来事があったという。

〇〇がアドバイスをしているとき、ゼミ生は姿勢を正し、とても真剣で熱意を持って話を聞いていた。

話がとりあえず終わり、〇〇が研究室の本棚の近くに移動して、ふとゼミ生を見ると…

あるゼミ生が、先ほどとは違って、姿勢を崩してソファに寄りかかり、

「先生~、これ取ってぇ~」と甘えた声を出していた。

〇〇は、ゼミ生の態度の変化にびっくりした。

そして次のように思って、うれしくなったという。

「この研究室では、素直で自然な自分を出してもいいんだ。」


たしかに、ゼミ生が、純粋で明るくて元気で、生き生きとするような研究室の雰囲気をつくりたいと思っている。

周囲に気を使いすぎ、ハッタリで自分を防衛してほしくないと思っている。

このような研究室の雰囲気は、実は、〇〇は大学時代から知っていたはずだ。

なぜなら、〇〇こそが研究室ではこのような態度を取っていたから。

おそらく、このゼミ生の態度を見て、改めてこの研究室の雰囲気に気づいたのだろう。

 
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ゼミ生に授業を受けてもらった翌日、中学校で部活動の指導をした。

その時、自分の心が軽くなっていることに気がついた。

いつもより、部活動の指導が楽しい。

思い当たるふしがあった。

自分の所属した大学の研究室で、ゼミの後輩たちにアドバイスするなどして、ひと時を過ごしたことで、毒素が抜けたような感じがしていた。

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〇〇からこの話を聞いて、私はうれしかった。

この研究室の雰囲気で、心が軽くなったのだから。

もちろん私はゼミ生を甘やかすつもりはない。

卒業研究の取り組み方などは、たぶん、どこのゼミよりもハードだ。

卒業研究の抄録の書式ミスも、自分で探せと突っ返している。

しかし、だからと言って、ゼミ生の気持ちを抑えつけようとは思わない。

ゼミ生が素直な気持ちを表現できるように配慮し、その気持ちを聴くようにしている(聴くだけだが…)。

また心に余裕があれば、ゼミ生の不満を聞いて納得をさせようともする(失敗することが多いが…)。

 
私のゼミ生への接し方に賛否両論がある。
 
「ゼミ生にもっと毅然とした態度を取った方がいい」と忠告してくれる先生もいる。
 
そうかもしれないとも思う。

おそらく、私のこの態度は、私の性格や人間観、人生の処し方の現れなのだろう。
 
良いか悪いかは別にして、いつの間にか、これがゼミの雰囲気となっていた。

古巣の研究室を訪ねたら毒素が抜けて元気になったと言われることは、うれしいことに違いない。

私としては、昔と変わらない態度で、かつてゼミ生であった時と同じように、卒業生に接しているだけだが…