7月31日、定期試験の最終日。
本学のある教室で、中学校の保健体育「喫煙と健康」の授業が行われていた。
教えているのは卒業生のゼミ8期生の〇〇。今は現役バリバリの中学校の教員である。
その授業を受けているのは現役バリバリの大学3年生、ゼミ16期生である。
中学校での自分の授業をよりよくするために、大学生相手に授業をして、悪い点を指摘してほしいと、〇〇から提案があった。
そこでゼミ3年生に協力をしてもらったのである。
授業が進むにつれて、私は驚いた。
正直言って、〇〇がこんなに授業のテクニックを使いこなしているとは思っていなかったのである。
イメージマップやら糸ミミズの実験やら、EXILE(エグザイル)までも持ち出して、喫煙の話を展開していた。
NHKのテレビ番組「ためしてガッテン」的な演出もしていた。
ゼミ3年生が教育実習で授業をするとき、参考になるところ満載といった感じであった。
ただゼミ3年生は、まだまだ「教える立場」になった経験が不足しており、この授業の構成のしかた、テクニックにピンと来ていない雰囲気だった。
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授業が終わって学食で皆でランチ。
もちろん協力してくれたゼミ3年生、そして〇〇に私がおごることになっていた(涙)。
食堂のおばさんが、笑いながらなぐさめてくれた。
「先生もたいへんですね。」
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ランチの後、研究室で希望するゼミ生を対象に、〇〇が教員採用試験のアドバイスをしてくれた。
後日〇〇が語ったところによれば、次のような出来事があったという。
〇〇がアドバイスをしているとき、ゼミ生は姿勢を正し、とても真剣で熱意を持って話を聞いていた。
話がとりあえず終わり、〇〇が研究室の本棚の近くに移動して、ふとゼミ生を見ると…
あるゼミ生が、先ほどとは違って、姿勢を崩してソファに寄りかかり、
「先生~、これ取ってぇ~」と甘えた声を出していた。
〇〇は、ゼミ生の態度の変化にびっくりした。
そして次のように思って、うれしくなったという。
「この研究室では、素直で自然な自分を出してもいいんだ。」
たしかに、ゼミ生が、純粋で明るくて元気で、生き生きとするような研究室の雰囲気をつくりたいと思っている。
周囲に気を使いすぎ、ハッタリで自分を防衛してほしくないと思っている。
このような研究室の雰囲気は、実は、〇〇は大学時代から知っていたはずだ。
なぜなら、〇〇こそが研究室ではこのような態度を取っていたから。
おそらく、このゼミ生の態度を見て、改めてこの研究室の雰囲気に気づいたのだろう。
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ゼミ生に授業を受けてもらった翌日、中学校で部活動の指導をした。
その時、自分の心が軽くなっていることに気がついた。
いつもより、部活動の指導が楽しい。
思い当たるふしがあった。
自分の所属した大学の研究室で、ゼミの後輩たちにアドバイスするなどして、ひと時を過ごしたことで、毒素が抜けたような感じがしていた。
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〇〇からこの話を聞いて、私はうれしかった。
この研究室の雰囲気で、心が軽くなったのだから。
もちろん私はゼミ生を甘やかすつもりはない。
卒業研究の取り組み方などは、たぶん、どこのゼミよりもハードだ。
卒業研究の抄録の書式ミスも、自分で探せと突っ返している。
しかし、だからと言って、ゼミ生の気持ちを抑えつけようとは思わない。
ゼミ生が素直な気持ちを表現できるように配慮し、その気持ちを聴くようにしている(聴くだけだが…)。
また心に余裕があれば、ゼミ生の不満を聞いて納得をさせようともする(失敗することが多いが…)。
私のゼミ生への接し方に賛否両論がある。
「ゼミ生にもっと毅然とした態度を取った方がいい」と忠告してくれる先生もいる。
そうかもしれないとも思う。
おそらく、私のこの態度は、私の性格や人間観、人生の処し方の現れなのだろう。
良いか悪いかは別にして、いつの間にか、これがゼミの雰囲気となっていた。
古巣の研究室を訪ねたら毒素が抜けて元気になったと言われることは、うれしいことに違いない。
私としては、昔と変わらない態度で、かつてゼミ生であった時と同じように、卒業生に接しているだけだが…