4年生は、ほぼ1日中、演習室で卒業研究に取り組んだ。
(↑ ゼミが始まった演習室前の様子)
(↑ 当日の演習室の様子)
途中A男が演習室を抜け出し、外の階段に腰を下ろして携帯をのぞいている。
どうも彼女とトラブルがあったらしい。
気持ちのやさしいB子が声をかけた。
「よかったら、話を聞こうか」
A男はそれを断り、気持ちが落ち着いたら皆のところに戻ると答えたという。
まあ男と女が2年間つきあえば、いろいろな時があるさ。
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しばらくして、今度はC男が研究室にやってきた。
C男 「先生、卒業研究、あの部屋では、やる気がでないんですけど」
先生 「どうして?」
C男 「皆と一緒にいると、遊んでしまって…」
先生 「そしたら、自分の部屋でやるんだな。」
C男 「でも、一人だけではできなくて、誰かそばにいないと…」
先生 「ふむ…」
皆がいれば一緒に遊んでしまうし、そうかと言って、一人でもだらだらしてしまって、できないというのだ。
学生なら誰でもこのような状況は経験したことがあるだろう。
先生 「つまり、卒業研究をする環境がベストでないと、なかなかできないということを言いたいのかな。」
C男 「まあ、そういうことになるのかな」
先生 「環境がベストであろうとなかろうと、気分がよかろうと悪かろうと、それなりにパーフォーマンスを維持することが大切だと思う。
C男 「……」
先生 「一流のスポーツ選手は、調子が悪い時でも、それなりの競技成績を出しているのではなかろうか。」
C男 「確かに、そうかもしれません。」
先生 「ゼミ生のD子をみてごらん。皆と一緒に遊ぶときもあるけど、着実に卒業研究を進めている。」
(↑ D子は、この日アイスを食べながら卒論に取り組んでいた。)
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その夜、お風呂に入っている最中に、ぼんやりC男との会話を思い出していた。
そしてふと思った。
「気分がよかろうと悪かろうと、それなりにパーフォーマンスを維持することが大切」
今日、C男に言ったこの言葉。
昔、誰からか、言われたような気がする…
そして思い出した。
遠い学生時代のことを…
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当時、大学4年生だった。
進路のことで悩み、ゼミも欠席がちだった。
ある日の日曜日の午前中、ゼミの先生から電話がかかってきた。
今からすぐに研究室に来いという。
しぶしぶ、日曜日にもかかわらず、大学に向かった。
先生は怒るでもなく、先生が好きな研究者であるヴィクトール・フランクルの話をし始めた。
アウシュビッツ強制収容所での体験をもとに、名著「夜と霧」の著した精神医学者である。
先生の話の骨子は今でも覚えている。
「街はずれの靴屋のおっさんは、なぜ生きているのか」という命題についてだった。
街はずれの靴屋のおっさんよりも、高度な技術を持っている靴屋はたくさんいる。
自分よりも優れた靴屋はたくさんいるはずだから、その靴屋のおっさんは自己嫌悪になるはずだ。
そして自分の価値を認められず、靴屋をやっていても仕方がない、生きていても仕方がないと思うかもしれない。
しかし、その靴屋のおっさんは靴屋を続け、生きていこうとする。
その理由を、おまえは分かるかというものだった。
そしてヴィクトール・フランクルの生きていくための3つの価値について説明してくれた。
簡単に言えば、次のようなことだ。
その靴屋のおっさんは、自分なりに技術が向上することや、お客さんの喜んでくれることを通して、靴屋として生きる意味を見い出している。
つまり、生きる価値というものは、他人と比較するのではなく、自分で創造するもの。
だから、街はずれの靴屋のおっさんでも、靴屋を続け、生きていこうとする。
おそらくゼミの先生は、悩んでいる私にヒントを与えようとして、このような話をしたのであろう。
そしてこう言った。
「悩んでいても、どんな精神状態であっても、やるべきことは着実にやって、パーフォーマンスを下げないことが大切だ。」
この言葉は、私のその後の人生に影響を与えた。
だって、この言葉は、私の人生訓のひとつとなっているから。
ただ学生時代にゼミの先生から言われた言葉だったとは、すっかり忘れていたが…
自分の学生時代に、ゼミの先生から言われた言葉を、今こうして、自分のゼミの学生に言っている。
教育って、こうやって次の世代に引き継がれていくのだなと、妙に実感した。
C男が、将来自分の目標を実現させ、飲食店を経営するようになった時、きっとバイトの学生に言うことだろう。
気分がよかろうと悪かろうと、それなりにパーフォーマンスを維持することが大切であると。