2013年8月25日日曜日

思い出の中のゼミ生(2) 〜晩秋のひるがの高原〜

8月19日に卒業生のゼミ9期生のA子とB子が,
久しぶりに研究室を訪ねて来た。


二人ともすでに結婚している。

私はこの二人の結婚式に出席をした。

ゼミ生の晴れ姿を、私は一生懸命写真におさめている。





(私が撮影しました)
 
 そして現在…

A子は妊娠9ヶ月。もうすぐ出産である。さすがにお腹が大きい。
 

 


B子は8ヶ月の赤ちゃん連れである。
 




 

 ゼミ9期生は仲がよく、とてもまとまりがあった。



そのためか、他の期のゼミよりも、合宿の回数が1回多い。

 

そう言えば、合宿の時、私が…

 「ちょっと自宅に戻る。この合宿先から遠いので、戻って来るのに時間がかかる。」と言ったところ…


私の言葉を疑い、「先生の自宅は、この近くにあるに違いない」と推測して、私の後をつけたゼミ生たちがいた。


実は、歩いて数分の距離に私の自宅はあった。


ゼミ生たちは、私の後をつけ、見失ったが、最終的には私の自宅を探し出したのだった…(すごい執念!)


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A子が赤ちゃんに私を紹介する。

「この人が笹じいだよ。」

確かに年齢的には三世代にわたるが…

ゼミの卒業生が妊娠してお腹が大きくなったり、赤ちゃんを抱いているのを見ると、どうもピンとこない。

私の脳裏には、大学時代のゼミ生の面影が強く残っている。

何年たっても、当時の若々しいゼミ生のままである。

おそらく、青春時代のゼミ生と一緒に過ごした時間を、永遠なものにしておきたいと、無意識的に思っているのだろう。

私の中のゼミ生は年をとらない。

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実は、このゼミには忘れられない思い出がある。

ゼミ生のC子の母が、突然交通事故で亡くなったのだ。

その夜、C子から電話を受け取ったときの重苦しい瞬間は、今も忘れることができない。



私はゼミ生を連れて、C子の故郷に葬儀に向かった。

C子の故郷は、岐阜県と富山県の県境に近い山村であった。


途中、高速道路のひるがの高原のサービスエリアに立ち寄った。


晩秋の澄み切った空気に、山々が凛として清らかな姿を見せている。


深い悲しみに染み入るようだった。


私はずっと見つめ続けた。



 (私が撮影しました)



卒業後、大阪のある会社からもらっていた内定を辞退して、C子は故郷の近くの小さな町で働き始めた。


小さな町の会社なので給料は安く、休日もアルバイトをした。


精神的にも、経済的にも厳しい生活をしているようだった。

年賀状には「貧乏暮らしにも慣れました。」と書かれてあった。




数年後、同窓会が名古屋で開かれた。


故郷から名古屋まで3時間以上かかって、C子は参加した。

「(母が亡くなって)3年がたち、やっと気持ちが落ち着くようになりました。」

C子は元気そうな表情でそう語った。

まだまだ厳しい生活は続いているが、心に少しずつ余裕が生まれ始めている様子であった。


C子には特に幸せな人生を送ってもらいたいと思う。


そしていつの日か、C子の故郷に行く機会があったなら、食事に誘い、いろいろ話をしたいと思っている。


2013年8月13日火曜日

思い出の中のゼミ生(1)~野生的に生きる~

笹竹ゼミの歴史の中で、特に印象深かったゼミ生たちが何人かいる。

夏休みでネタがないので、そのうちの一組のゼミ生のことを書こうと思う。

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とても仲の良い3人がいた。

A子、B子、C子である。

A子は目がパッチリしていて、「喋らず黙っていれば」美人に見えた。

実際に若手の写真家から、モデルを頼まれたこともあった。

B子はリーダーシップがとれる子で、しっかり者。

ゼミの募集の時、「私、ゼミ長になりたいです」と言って、応募用紙を研究室に持参してきた。

C子はずっとガールスカウトをしてきており、人を魅了するオーラを持っていた。

C子の卒業研究発表を聞いた後輩が、「あんな先輩になりたい」と言っていたほどだった。

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この3人の共通点は、かなり個性が強いことと、ぶっ飛んだエネルギーを持っていることだった。

3人集まると、にぎやかで(うるさくて)、積極的(勝手気ままに)になり、活動的(やりたい放題)になった。

たとえば…

研究室にお菓子やパンがあれば、私に無断で食べ尽くした。

机の引き出しに隠してあっても、不思議に探し出していた。

ある時、私がおやつにと楽しみにしていたポテトチップスが被害にあった。

私が会議で研究室を留守にすると…

さっそく彼女たちはポテトチップスを探し出し食べた。

食べ終わると、菓子袋にティッシュを丸めて詰め込んだ。

そしてホッチキスで菓子袋の口をとめ、ばれないように細工をした。

そして元の場所に戻した。

私が会議から戻ると、何食わぬ顔をして、

「先生、会議、お疲れ様でした。私たち帰ります。」

その後、休憩しようと思って、私がポテトチップスを手に取ったところ…

「ん? 何か軽いな。こんなものかな。」

そして袋を破ろうとしたところ、ホッチキスでとめてあるではないか。

よくよく見ると、隙間からティッシュが見えた。

「しまった。やられた!」

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ある時、ゼミで社会見学に出かけた。

確か、裁判所あるいは県警察本部に行ったので、皆スーツを着ていた。

A子は「大人になった気分」などと言ってはしゃいでいた。

そして地下鉄の駅に来たとき…

A子は私に近寄ってくるなり、

「ひでほ~」と甘えた声を出し、強引に私と腕を組んできた。

「俺の方がセクハラで訴えられるからやめろよ」と私。

A子はますます面白がって、「ひでほ~」と連呼していた。

地下鉄の駅は多くの人が行き来しており、私は恥ずかしい思いをした。

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卒業研究の中間発表の時のことだった。

発表中、キーワードを説明した後に、

「さあ、みなさんもご一緒に、せ~の~!」

こう言って、会場の皆にキーワードを声をそろえて言うように促した。

もちろん、声を出してキーワードを言ったのは、笹竹ゼミ4年生だけ。

後の学生たちは、突然のことに、ポカ~ンとしていた。


(この様子を見学した2年生のレポートには…)

「型破りな発表で、はじめはふざけているのかと思った。

しかし内容はかなりまじめだったので、またおどろいた。」

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こんな感じで、3人との戦いの日々が続いていた。

やりたい放題だったので、これまで教育を受けてきたのだろうかと、疑問に思ったほどだった。

私には、野性的に生きているとしか思えなかった。

ただ、いたずらばかりしていたわけではない。

溢れ出るエネルギーをゼミ活動にも向けていた。

ある仮装マラソン大会にゼミで出ることを企画して、皆で衣装を制作し、努力賞を獲得したことがあった。

この時の賞状は、現在も研究室に飾ってある。



 


またゼミ新聞を発行することを企画し、毎月一生懸命制作していた。

この時のゼミ新聞の名残が、現在も研究室のホワイトボードに貼ってある。





卒業時に、ゼミの卒業文集を作成したのは、後にも先にも、このゼミ生たちだけだった。





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卒業式を待つばかりとなった2月初旬、私は研究室で仕事をしていた。

ちょうど机の上には、お菓子が置いてあった。

遠くから女の子たちの明るい笑い声が聞こえてくる。

そして、だんだん研究室に近づいてくる。

「A子、B子、C子だ!」

そう思った瞬間、私はお菓子をさっと掴み、引出しの中に隠した。

自分でもびっくりするほど俊敏な動きだった。

いつの間にか、私の体は、無意識的に反応をするようになっていた。


女の子の笑い声
    ↓

A子・B子・C子に違いない
    ↓

お菓子を食べられる
    ↓

隠さないとヤバイ


やがて、女の子たちの明るい笑い声は、研究室の前まで来た。

そして…

そのまま、女の子たちは私の研究室を通り過ぎて行ってしまった。

「なんだ、A子たちではなかったのか…」

私は安堵した。

お菓子を食べられなくて済んだからである。

そして、こう思った。

「彼女たちが卒業したら、お菓子を隠さなくて済むんだな~。楽になるな~。」

その瞬間、急に激しいさびしさがこみ上げてきた。

もう、彼女たちと会えなくなる。

お菓子を隠さなくて済むことは、別れを意味していた。

その事実が持つ意味が、実感となって私の体を走り抜けた。

野生人のようで、自由気ままなふるまいだったけど、明るくて元気で、気持ちのいい女の子たちだった…

その時、彼女たちとの戦いの日々が、とても愛おしく感じられた。

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ゼミの卒業旅行の二日目、私はゼミ生を残し、先に帰らざるを得なかった。

私の長男の卒業式に当たっていたからである。

卒業式に間に合うためには、早朝6時にタクシーに乗ってホテルを出なければならない。

そのことはゼミ卒業旅行を計画する段階で、ゼミ生は承知していた。

そして前日の夜に、ゼミ生には、午前8時に起きて朝食を食べるように伝えてあった。

翌朝、誰もいないホテルの玄関前で、私はタクシーに乗り込んだ。

ちょうどその時、どこからともなく、ゼミ生たちがタクシーのそばにすーと現れた。


「先生、ありがとう、気を付けてね。」

皆、口をそろえて言った。

私を驚かせようと、どこかに隠れていたらしい。

「あれ~、お前たち…見送りに…」

私はびっくりし、そして感激した。

早朝6時に起きるのは、たいへんだっただろうに…

おそらくあの3人が、私を驚かそうと思って考えたことだろうと思った。

私はタクシーのなかで涙ぐんだ。

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卒業してから、何年かが経ち…

A子は、教員採用試験に合格して教員になった(ちゃんと教員を務めているのだろうか…)

B子は、体育教室の指導者を務めた後、結婚して子どもが生まれた。

C子は、看護師になることを決意して、専門学校に入学し、現在は看護師として勤務している。


3人集まらなければ、皆しっかりできるんだね…。

















2013年8月3日土曜日

研究室へ毒素を抜きに~

7月31日、定期試験の最終日。

本学のある教室で、中学校の保健体育「喫煙と健康」の授業が行われていた。

 
 
 
 

教えているのは卒業生のゼミ8期生の〇〇。今は現役バリバリの中学校の教員である。

その授業を受けているのは現役バリバリの大学3年生、ゼミ16期生である。

中学校での自分の授業をよりよくするために、大学生相手に授業をして、悪い点を指摘してほしいと、〇〇から提案があった。

そこでゼミ3年生に協力をしてもらったのである。

授業が進むにつれて、私は驚いた。

正直言って、〇〇がこんなに授業のテクニックを使いこなしているとは思っていなかったのである。

イメージマップやら糸ミミズの実験やら、EXILE(エグザイル)までも持ち出して、喫煙の話を展開していた。

NHKのテレビ番組「ためしてガッテン」的な演出もしていた。
 
 

ゼミ3年生が教育実習で授業をするとき、参考になるところ満載といった感じであった。

ただゼミ3年生は、まだまだ「教える立場」になった経験が不足しており、この授業の構成のしかた、テクニックにピンと来ていない雰囲気だった。

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授業が終わって学食で皆でランチ。

もちろん協力してくれたゼミ3年生、そして〇〇に私がおごることになっていた(涙)。

食堂のおばさんが、笑いながらなぐさめてくれた。

「先生もたいへんですね。」


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ランチの後、研究室で希望するゼミ生を対象に、〇〇が教員採用試験のアドバイスをしてくれた。
 
 
 
 
 

後日〇〇が語ったところによれば、次のような出来事があったという。

〇〇がアドバイスをしているとき、ゼミ生は姿勢を正し、とても真剣で熱意を持って話を聞いていた。

話がとりあえず終わり、〇〇が研究室の本棚の近くに移動して、ふとゼミ生を見ると…

あるゼミ生が、先ほどとは違って、姿勢を崩してソファに寄りかかり、

「先生~、これ取ってぇ~」と甘えた声を出していた。

〇〇は、ゼミ生の態度の変化にびっくりした。

そして次のように思って、うれしくなったという。

「この研究室では、素直で自然な自分を出してもいいんだ。」


たしかに、ゼミ生が、純粋で明るくて元気で、生き生きとするような研究室の雰囲気をつくりたいと思っている。

周囲に気を使いすぎ、ハッタリで自分を防衛してほしくないと思っている。

このような研究室の雰囲気は、実は、〇〇は大学時代から知っていたはずだ。

なぜなら、〇〇こそが研究室ではこのような態度を取っていたから。

おそらく、このゼミ生の態度を見て、改めてこの研究室の雰囲気に気づいたのだろう。

 
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ゼミ生に授業を受けてもらった翌日、中学校で部活動の指導をした。

その時、自分の心が軽くなっていることに気がついた。

いつもより、部活動の指導が楽しい。

思い当たるふしがあった。

自分の所属した大学の研究室で、ゼミの後輩たちにアドバイスするなどして、ひと時を過ごしたことで、毒素が抜けたような感じがしていた。

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〇〇からこの話を聞いて、私はうれしかった。

この研究室の雰囲気で、心が軽くなったのだから。

もちろん私はゼミ生を甘やかすつもりはない。

卒業研究の取り組み方などは、たぶん、どこのゼミよりもハードだ。

卒業研究の抄録の書式ミスも、自分で探せと突っ返している。

しかし、だからと言って、ゼミ生の気持ちを抑えつけようとは思わない。

ゼミ生が素直な気持ちを表現できるように配慮し、その気持ちを聴くようにしている(聴くだけだが…)。

また心に余裕があれば、ゼミ生の不満を聞いて納得をさせようともする(失敗することが多いが…)。

 
私のゼミ生への接し方に賛否両論がある。
 
「ゼミ生にもっと毅然とした態度を取った方がいい」と忠告してくれる先生もいる。
 
そうかもしれないとも思う。

おそらく、私のこの態度は、私の性格や人間観、人生の処し方の現れなのだろう。
 
良いか悪いかは別にして、いつの間にか、これがゼミの雰囲気となっていた。

古巣の研究室を訪ねたら毒素が抜けて元気になったと言われることは、うれしいことに違いない。

私としては、昔と変わらない態度で、かつてゼミ生であった時と同じように、卒業生に接しているだけだが…
















2013年7月26日金曜日

卒論をめぐる真夏の戦い2013

今年も卒業論文を本格的に取り組む時期がやってきた。

卒業研究中間発表会が9月にあり、その準備をするのである。

卒業研究発表会では、笹竹ゼミは、パソコンではなくポスターを使う。

しかも発表原稿を見ないで発表する。

それが笹竹ゼミの伝統。




 昨年の卒業研究発表会の様子
 


他のゼミはパソコンを使って発表しているようだ。

実は、笹竹ゼミでもパソコンを使って発表したことがある。

ゼミ2期生の卒業研究発表会だった。

当時、パソコンを使って発表したのは笹竹ゼミだけであり、時代の最先端を走っていた。

しかし…

私は面白くなかった。

確かにパソコンを用いると、きれいで鮮やかな発表ができる。

でも気持ちが伝わりにくい。皆スライドばかりを見つめている。

そこでゼミ3期生からパソコンを使わずに、模造紙に図やキーワードを書いて発表することにした。

この発表のスタイルは、その後10年以上も続いている。

ゼミ生はポスターを作るのが大変なようだけどね。


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ゼミ生に卒業研究をやらせるのは、いつもたいへん。

すぐにおしゃべりをして遊んでしまうし、進め方がわからないと放り出してしまう。

そして「今日はやる気が出ない」などと言う。

そんなゼミ生との戦いが、今年も始まった。
 


毎年こんな感じ


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ゼミ生 「卒論、今日はやる気がしない。」

先生 「ゆっくりやろう。俺は何年たっても見捨てないからねっ。」

ゼミ生 「う~、先生は、今の私を見捨てているー」

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先生 「この抄録、ミスがたくさんある。自分で探し出してやり直し。」

ゼミ生 「どこが間違いなのか、教えてくれてもいいじゃん。」

先生 「人生は~、そんな甘くはないな。」

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ゼミ生 「先生~、ポスターの図を考えて~」

先生 「自分で考えるんだよ、アドバイスはしてあげるけど。」

ゼミ生 「じゃあ、アドバイスして~」

先生 「まだ何も描いてないじゃあないか!」

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先生 「ポスターの3枚目の表は、おしゃれにレイアウトしておいて。」

ゼミ生 「無理、無理。私にはそんなセンスはありません。おしゃれな表はできません。」

先生 「じゃあ、かっこいい表にしておいて。」

ゼミ生 「同じことじゃん!」




個人情報保護のためぼかし入り


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午後6時近くになっても終わらない。

おなかがすいたので、学内のコンビニに行く。

売れ残ったおにぎりやおかずが半額。

それらをすべて買って、ゼミ生にもあげた。

研究室で夕ご飯。



半額のおにぎりとおかず。

ウーロン茶は昨年の学園祭の残り

(賞味期限が切れていたが…)



今年もゼミ生との戦いが始まった。




2013年7月16日火曜日

卒業生と一緒に食べたお弁当

7月13日はオープンキャンバスだった。
 
今春卒業したゼミ14期生のミ〇コがやってきた。
 
ラクロスの練習試合を見学に来たついでに、研究室に顔を出してくれた。

ゼミ14期生と一緒に行った日間賀島の小旅行が、つい昨日のようにも、そして遠い昔のようにも思い起こされる。


ちょうどお昼時。
 
オープンキャンパスのスタッフのお弁当のあまりをもらい、研究室で一緒にお弁当を食べた。
 
ミ〇コは、研究室で座り込むと「落ち着く~」とまず一言。





私が、「ゼミのブログだけではなく、ゼミ生しか閲覧できないホームページを作ったんだ」と言うとー
 
(この記事は一般公開のブログにアップしているが、このほかにゼミ生しか閲覧できないように設定されたホームページもある。)





 
「私たちよりも愛情を注いでいる~」(不満そうな顔つき)とミ〇コ。
 
「そんなことはない。その時は俺にブログを作る技術がなかったんだ。」と私(あわてて)。
 
「ところで、このテーブルに置いてある飴のボックスは何?」とミ〇コ。






「研究室で勉強するゼミ生がいてね、そのゼミ生のために置いてあるんだ。」と私。
 
 「私たちよりも愛情を注いでいる~」(不満そうな顔つき)とミ〇コ。

「そんなことはない。その時は皆は研究室では勉強しなかったから。」と私(あわてて)。


ミ〇コに限らず、ゼミ生は教員の愛情に敏感だ。

つい2週間前も、ゼミ4年生からこう言われた。

「ゼミ3年生のブログの方が、先生は愛情を持って書いている。」


正直に言って、指導しやすい年代のゼミと、そうでない年代のゼミがあることは事実だ。
 
しかし愛情の程度はまったく変わらない。

だからこそ、どの年代のゼミとでも、大切な思い出が残っている。


ミ〇コは仕事の大変さを語り出した。

資料の詰まった重たいダンボールを4階まで運ぶ。

猛天下の中、駐車場の案内係をする。

スーツは汗でべとべと。

「それじゃあ、時々大学時代が懐かしくなるだろう。」と言うと、

「毎日、大学時代を懐かしく思っている。」とのこと。


「仕事はね、慣れだよ。1年間が過ぎると、ぐっと楽になるよ。」

この言葉は、若い頃の私の体験から出たものだ。

働き始めた頃、辛くて苦しかった。

そんな時、砂漠の中を一人戦車に乗って戦っている夢を見たことを、今でも覚えている。

しかし1年が過ぎると、職場に慣れてぐっと楽になったことも事実だった。

だから、仕事が辛くても、「とにかく1年が過ぎれば…」というのが、私の本音である。

おそらくミ〇コに限らず、今春卒業したゼミ14期生たち全員が、同じように仕事にしんどい思いをしているのだろう。

ミ〇コは皆を代表して、その思いを伝えに来てくれたように感じられた。


お弁当を食べ終わった後、私は高校生対象の模擬授業をするために、ミ〇コは待たせているお母さんのところに行くために、研究室を出た。

ミ〇コと別れた後、心のなかでゼミ14期生全員に向かって、「仕事はね、1年が過ぎると慣れてぐっと楽になるよ。」と語りかけた。


 
(個人情報保護のためぼかしを入れた)





















2013年7月13日土曜日

パニパニで夜は更けて~ゼミ3年コンパ~

 
ゼミ3年の前期コンパは「新時代」だった。
 
このゼミ生たちと酒を飲むことははじめてだった。
 
酒が出て料理が運ばれ,コンパが始まった。
 
 
 


 (個人情報保護のためぼかしを入れた)
 

 
しばらくすると,「パニパニ」が始まった。
 
「パニパニ」は宴会ゲームのひとつであり,数年前から流行っているらしいが,私にははじめてだった。
 
見ていると,なかなか面白い。
 
合コンなどで初対面の男女が仲良くなるには,都合のよいゲームだと思った。
 
 

(個人情報保護のためぼかしを入れた)
  
 

ただ私にはゲームというより,集団パーフォーマンスとして美しいと思った。
 
集団のある数人が行う一定の動作が,別の数人にランダムに移動していく。
 
おそらくこのような文化のない外国人が見たら,美しい集団演技として見るだろう。
 
しかしこの「パニパニ」は集団パーフォーマンスではなく,やはりゲームであった。
 
なぜならば罰ゲームがあったから。
 

ミスをすると,一発芸をやらされるらしい。
 
かわいそうに何回も罰ゲームをやらされた〇〇がいた。
 
ダンスの授業での踊りを皆の前でやらされていた(平気な顔で踊っていたが…)

 
 
 
 (個人情報保護のためぼかしを入れた)
 
  
この「パニパニ」に参加しろとゼミ生から脅迫があった。
 
「先生!パニパニをやるか,このテーブルに置いてある醤油を飲むか,どちらかにして!」
 
 
  
 (個人情報保護のためぼかしを入た)
 
  

ゼミ生の下心はわかっていた。
 
「パニパニ」をやらせて,ミスを誘い,罰ゲームをやらせようとするのだ。
 
ゼミ合宿ならばゼミ生しかいないので,まあ,一緒にやってもいいが,ここは居酒屋。

こんな私でも羞恥心や世間体がある。

たび重なる脅迫に必死に抵抗を続けていた。

 
普段はまじめでおとなしいのに,「パニパニ」を皆で気軽に楽しみ,平気で罰ゲームを受け入れるゼミ生たち。
 
女子大生パワーを見せつけられたような感じがした。

 

 

 

 

2013年7月3日水曜日

ゼミ卒業生に頼まれて中学校で講演

ゼミ8期生の〇〇に頼まれて、平成25年7月2日に中学校で講演をした。

〇〇は教員採用試験に合格し、現在は保健体育の中学校の教師。

全校生徒を対象に、友人関係についての講演をしてほしいという。

ゼミの卒業生からの依頼は断れない。

講演はひとりでもできるが、何かの勉強になると思い、ゼミ3年生3人を連れて行った。

講演に先立って、ゼミ3年生にランチを御馳走した。

半田市のア・トゥート・ボーレ。おしゃれな洋食屋さん。

手作りのハンバーグや前菜、デザートとドリンクもついていた。





 
お手伝いをしてくれたゼミ3年生(他にもう1人いる)
 
 

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講演の内容は、「うざい」、「きもい」などの言葉を使うと、密かに傷ついている友人がいるので、気を付けようというもの。
 
最初に、先生に以下のシナリオを演じてもらう。
 
A 「俺,中間テストで英語の点数が上がったんだ」
B 「うぜぇー」
A 「えへへ,数学も点数も上がってね」
B 「きもー,マジ,うぜぇー」
 
 
(個人情報保護のためぼかしを入れてた)
 

 
(個人情報保護のためぼかしを入た)
 

 
デバイスを使って、生徒たちの意見をスライドで集計しながら、話を進めた。
 
これらの言葉を相手から言われて、半分以上の生徒に傷ついた経験があった。
 
皆まじめに話を聞いていた様子だった。
 
なおPTA会長から「先生の声はマイクを通すと、後ろの席までよく聞こえた」と言われ、予想外にうれしかった。
 
体育館で声が響いてしまうので、特にゆっくり、はっきりと声を出すように気を付けていたが、これがよかったかもしれない。
 
 
 
 
講演の最後に代表者からお礼の言葉があった。
 
 
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この講演での一番の収穫は、ゼミ生の〇〇がすっかり教員になって生徒たちに指示を出すのを見たことだった。
 
堂々としていて、「怖そうな体育の先生」のような雰囲気も漂わせている。
 
でもゼミ担当教員にとっては、卒業しても、教員になっても、ゼミ生はゼミ生。
 
学生時代を知る者としては、「お~、やたらに泣いていた〇〇が、今ではすっかり先生になって!」
 
大げさに言えば、教師冥利に尽きるということだろう。
 
しかし…
 
講演が終わると、謝礼金を目当てにして、〇〇は私に近寄って来た。
 
「(おごってもらうのは)焼肉屋がいいかな。それとも丸いテーブルが回転してきて、エビや蟹がのっている中華料理もいいな~。」
 
学生時代もそうだった。私にご飯をおごらせようと、あの手この手を使ってきた。
 
このあたりは、学生時代からまったく成長していなかった〇〇であった。
 
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 後日談がある。
 
大学の近くのイタリアンのお店。
 
ゼミ8期生の〇〇と△△と私。
 
〇〇はおいしそうに蟹クリームスパゲッティを口に運んでいる。
 
もちろん私のおごりである。
 
久しぶりに△△が大学に顔を出したので、一緒に食事をしてもよいと考え、あっさりおごることを認めたのである。
 
「ところで、先生」と〇〇が口を開いた。
 
「講演の後で、私が先生におごってもらおうとしたのは、先生がわたしとの約束の時間に7分遅れたからですよ。それをしっかりブログに書いておいてください。」
 
〇〇には〇〇の理屈があるようであった。
 
「わかったよ。仕方ないな。」と私。
 
〇〇は私の態度に満足したらしく、
 
「蟹クリームスパゲッティは本当においしい」
 
と言って、2皿目を注文していた。