2013年10月11日金曜日

出会いがあなたを救う

秋晴れのある日のゼミ。



(個人情報保護のため、ぼかしてある)


グループでの話し合いで、A子がこう発言した。

「この大学に不本意で入学したので、高校時代の友人よりも、よいところに就職したい。」

高校時代の友人は、この大学よりも偏差値の高い大学に入学し、自分は惨めな思いをしているので、就職では負けたくないということだろう。

A子のように語る学生は時々いるし、理解もできる。

このような思いをバネにして、一生懸命、就職活動をすればいいと思う。

ただ不本意で入学したことと、大学生活に満足できることとは、別の問題だと思う。

不本意で入学したが、素晴らしい友人たちと出会って、充実した大学生活を送れたと語る学生は、決して少なくない。

不本意入学をしてふさぎ込んでいた自分を、出会った友人たちが救ってくれたというのである。

大学生活が充実するかどうかに、一番強い影響を与えている要因は何か。

それは、綺麗で清潔感があふれる大学の施設ではない。

それは、面白く、ためになる授業ではない。

一番強い影響を与えるのは、友人関係である。

自分の気持ちを素直に表現し、それを受けとめてくれる友人。

日々のささいな出来事の喜怒哀楽を、一緒に分かち合ってくれる友人。

お互いの考え方や価値観を刺激し合える友人。

このような友人との出会いこそが、大学生活を充実させる上で、最も重要だと思う。

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こう確信をもって言えるのは、私自身の大学生活がそうだったからだ。

男子9人女9人のクラス。

特に男子は非常に仲がよかった。

大学1年の頃は、友人たちと、笑い転げて毎日を過ごしたような気がする。

皆で学内の売店に入ったら、店員のおばさんからこう言われたことがある。

「あんたたち、とっても楽しそうね。生き生きとしている。」

これらの友人たちのおかげで、私の歪んだ人格はだいぶ修正された。

私の人生に対する価値観の一部は、これらの友人によって形作られたものだ。

これらの友人と出会えてよかったと、つくづく思う。今でも思っている。

そしてこうも思っている。

「この大学に入学してよかった」

私の入学した大学よりも、偏差値の高い大学はいくらでもある。

仮にもっと偏差値の高い大学に入学したら、この良き友人たちに出会えただろうか。

出会いは、いつもあるとは限らない、

そう考えると、この大学に入学したからこそ、この友人たちに出会えたと考えるべきだ。

仕事を持って生活ができるようになり、そして私のような年齢になると、学歴よりも友人との交流の方が、はるかに人生にとって大切だと感じられる。

今年の夏も、また大学時代の友人と、京都三条の木屋町で飲んだ。


(大学時代の友人たち)



大学を卒業しても、ずっと交流が続くこの友人関係が、とっても大切。

だから、不本意入学であってもいいから、大学生活は充実させてほしい。

大学の偏差値が低いだの、施設が不十分など、大学に対する不満は持っていい。

でも、すばらしい友人関係に恵まれて、大学生活は充実させてほしい。

大学に対する満足と、大学生活に対する満足は違うのだから。