(個人情報保護のため、ぼかしてある)
グループでの話し合いで、A子がこう発言した。
「この大学に不本意で入学したので、高校時代の友人よりも、よいところに就職したい。」
高校時代の友人は、この大学よりも偏差値の高い大学に入学し、自分は惨めな思いをしているので、就職では負けたくないということだろう。
A子のように語る学生は時々いるし、理解もできる。
このような思いをバネにして、一生懸命、就職活動をすればいいと思う。
ただ不本意で入学したことと、大学生活に満足できることとは、別の問題だと思う。
不本意で入学したが、素晴らしい友人たちと出会って、充実した大学生活を送れたと語る学生は、決して少なくない。
不本意入学をしてふさぎ込んでいた自分を、出会った友人たちが救ってくれたというのである。
大学生活が充実するかどうかに、一番強い影響を与えている要因は何か。
それは、綺麗で清潔感があふれる大学の施設ではない。
それは、面白く、ためになる授業ではない。
一番強い影響を与えるのは、友人関係である。
自分の気持ちを素直に表現し、それを受けとめてくれる友人。
日々のささいな出来事の喜怒哀楽を、一緒に分かち合ってくれる友人。
お互いの考え方や価値観を刺激し合える友人。
このような友人との出会いこそが、大学生活を充実させる上で、最も重要だと思う。
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こう確信をもって言えるのは、私自身の大学生活がそうだったからだ。
男子9人女9人のクラス。
特に男子は非常に仲がよかった。
大学1年の頃は、友人たちと、笑い転げて毎日を過ごしたような気がする。
皆で学内の売店に入ったら、店員のおばさんからこう言われたことがある。
「あんたたち、とっても楽しそうね。生き生きとしている。」
これらの友人たちのおかげで、私の歪んだ人格はだいぶ修正された。
私の人生に対する価値観の一部は、これらの友人によって形作られたものだ。
これらの友人と出会えてよかったと、つくづく思う。今でも思っている。
そしてこうも思っている。
「この大学に入学してよかった」
私の入学した大学よりも、偏差値の高い大学はいくらでもある。
仮にもっと偏差値の高い大学に入学したら、この良き友人たちに出会えただろうか。
出会いは、いつもあるとは限らない、
そう考えると、この大学に入学したからこそ、この友人たちに出会えたと考えるべきだ。
仕事を持って生活ができるようになり、そして私のような年齢になると、学歴よりも友人との交流の方が、はるかに人生にとって大切だと感じられる。
今年の夏も、また大学時代の友人と、京都三条の木屋町で飲んだ。
(大学時代の友人たち)
だから、不本意入学であってもいいから、大学生活は充実させてほしい。
大学の偏差値が低いだの、施設が不十分など、大学に対する不満は持っていい。
でも、すばらしい友人関係に恵まれて、大学生活は充実させてほしい。
大学に対する満足と、大学生活に対する満足は違うのだから。