ゼミ3年の春合宿も終わり、少しずつゼミの雰囲気ができてきた。
この時期、私はあることに一生懸命になる。
それは3年生のゼミ生の名前を覚えること。
ゼミの4年生や卒業生の名前と似ている場合、特に気を遣う。
言い間違えてしまうからだ。
たとえば…
レイナとレナ
ナナミとミナミ
おまけに、笹竹クラス1年生の25人の名前も覚えないといけない。
私はゼミ以外に、クラス担任もしているのだ。
実は、先週、1年生2人に対して、名前を間違えて呼び掛けてしまった。
でも1年生だったから、何も文句は言わなかった。
しかし…
先週、ゼミ3年生に対して、名前を間違えてしまった。
ゼミ3年生のA子に対して、B子(ゼミ卒業生の名前)と呼んでしまったのだ。
私はフォローした。
私「B子(ゼミ卒業生)は、岐阜県の山奥の出身で、目鼻立ちが整った美人だったんだ」(言い訳がましく)
すると名前を間違えられたA子は言った。
A子「その先輩が美人なら、(先生が間違えたことを)許してあげます。」
そして続けて言った。
学生「先輩は岐阜県の山奥の美人で、私は愛知県の山奥の美人!」
どうも、美人というコトバに機嫌をよくしているようだった。
(↑ 私が名前を言い間違えた場面。中央がA子)
その数日後…
大学から帰る途中、大府駅でゼミ3年生のC子に出会った。
C子は私に言った。
「先生、私の名前、わかりますか?」
突然言われたので、あせった。
自分の名前を私が覚えているか、不安に感じているらしい。
「も、もちろん。○○だよな。」(必死で)
名前がすらっと出てきたので、よかった。
ただ、この時期はまだ危ない。
間違える危険性がまだある。
だから、油断はできないのだ。
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卒業すると、ゼミ生は私の心の中で生きることになる。
私の心の中では、何年たっても、学生時代の顔のままだ。
ただ、ゼミ生の顔はすぐ浮かんでくるが、名前が出てこないということはある。
笹竹ゼミの卒業生は、200人は軽く超えている。
ゼミの卒業生の全員の名前を、すらすら言えるためには、それなりの努力が必要だ。
私のiPad touch には、ゼミ1期生から現在までのゼミ生の顔写真と、氏名が書かれたリストが入っている。
電車の中で、ごくたまに、昔のゼミ生の顔写真をながめる。
皆いい顔をしている。
このように時々復習している。
だから私は、これまでのゼミ生の名前を言うことができる(たぶん)。
教員は、卒業しても、ゼミ生の名前を覚える努力は欠かせないのだ。