2013年10月25日金曜日

努力する恋愛はしんどい

秋晴れの土曜日の午前。

あるカフェで、ゼミの卒業生と会った。



(ゼミの卒業生と会った喫茶店)



相談にのって欲しいことがあると電話がかかってきたのだ。

恋愛の相談だった。

お互い結婚を前提につきあっているのに、彼とうまくいっていないとのことだった。

彼女は1時間半にわたって、しゃべり続けた。

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彼女の話を聞き終わった後、彼女に語りかけた。

お互い努力して、相手の望むことを実現しようとしている。

そして、お互いが無理をし過ぎている。

個人情報のため、ゼミの卒業生の話を書くわけにはいかないが、たとえば、よくある例は…



彼女は、日常生活の愚痴や不満を彼に聞いてもらいたいと思っていたとする。

しかし、彼が愚痴を聞くのを好きではないので、彼女はできるだけ話さないように我慢している(努力している)。

一方彼は、愚痴や不満を聞くことはあまり好きではない。

しかし、彼女の日常生活の不満や愚痴を聞いて欲しいと思っているので、我慢して耳を傾けようとする(努力している)。

このようにして、お互い無理をして努力しているので、疲れてしまう。

そして機嫌が悪くなってしまう。

理想は、お互いの相性が合い、努力しなくても自然に相手の望むことが実現できることだ。

もちろん、そんな理想の相手などいないが…

お互いのすべての相性が合致しなくてもいい。

しかし、「これだけは外せない」という最低限の相性は合致していないと、一緒に暮らすにはかなりしんどい。

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そして、ゼミの卒業生の話を聞きながら、もう一つ感じたことは…

男と女の感性の違いだった。

たとえばよくある例は…



彼が浮気をしたとする。

彼女が激しく怒ったので、彼は謝った。 

彼女は、「今回は許してあげる」と彼に言う。

この場合、彼女は、彼がどの程度反省してくれて、自分に優しくしてくれるかを、今後の彼の態度で見極めようとする。

ただ彼の受け取り方は違う。

彼は、許してくれた段階で、その浮気は「水に流してくれた」と受取ってしまう。

つまり彼にとってその浮気は、「なかったもの」となる。

そして、しばらくすると、彼は浮気をする。

(男女間のトラブルは、多くの場合、繰り返される…)

彼女は、「まったく反省していない!」と以前の浮気のことを思い出しながら怒る。

彼は、以前の浮気ことはまったく念頭になく、「なんで、そんなに怒るの」と、逆に切れたりする。

これは、男と女のトラブルのパターンのひとつ。

ゼミの卒業生の話のなかにも、このようなパターンが見え隠れしていた。



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実は私は、ゼミの卒業生の恋愛の話を聞きながら、青春を感じていた。

ゼミの卒業生は、何か月も前の出来事なのに、とてもリアルに語っている。

つまり、それだけ密度の濃い時間を過ごしているということだ。

その瞬間にさまざまな感情が動き、精神の活動が活発に行われている証拠だ。

私の年齢になると、1週間前の出来事さえ、あまりリアルに覚えていない。

もちろん誰と会って、どんな話をしたかぐらいの事実の記憶は残っている。

しかし、それは事実の記憶であって、自分が何を感じていたかという感情の記憶ではない。

おそらく、自分の感情を入れずに、目の前にやってくる仕事を一生懸命こなしていたということだろう。

自分の感情を入れていたら、「こんな仕事、やってられるかい」と言って、放り出すことにもなりかねない。

感情を入れずに、仕事を淡々とこなす。

まあ、これが大人なのかもしれないね。

だから、ゼミの卒業生の話を聞いていて、青春だなと感じた。

いつか、今日の話もきっといい思い出になるよ。








2013年10月19日土曜日

一時的に恋人になったゼミ生

大学のある〇〇市役所広報課からメールが届いた。

メールの内容は次のようなものだった。

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広報誌でデートDVの特集を組むことになった。

その記事に、交際している男女の写真を載せたい。

写真のモデルを探している。

笹竹ゼミの学生さんに協力してもらえないか。

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〇〇市役所と笹竹ゼミは、以前から何かとつながりがある。

ここはぜひとも協力をする必要がある。

そこでゼミ4年生にモデルを依頼した。


実は、数枚の顔写真を撮るだけでよいと私は思っていた。

だから20分から30分で簡単に終わるだろうと思っていた。

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当日…

説明を受けてちょっとびっくり。

なかなか細かい。


・恋人が手をつないで歩くシーン

・彼が彼女からお金を無理やり借りるシーン

・彼女が食欲がなく食事ができなくなるシーン

・彼女が男性恐怖になって他の男性を怖がるシーン

・彼と彼女のポーズをつけた全身写真


こんな感じだった。

撮影が始まった。

シーンごとに撮影するのだが、学生は表情をつくるのにかなり苦労している。

それは当然で、いやそうな顔や怖がっている顔は、そう簡単にはできない。

しかし、何枚も取り直して、それらしい雰囲気をつくることができた。

なかなか雰囲気がよかったのは、「恋人が手をつないで歩くシーン」



 
   
そして、彼とのことに悩み、食欲不振で、食事ができなくなるシーンは…
 
 
 

また、男性恐怖になってしまい、他の男性が近寄ってきて、皆で楽しく話すのだが、彼女だけは恐怖の顔になっているシーンは…
 















(↑ 中央の女性が彼女役、男性恐怖になっている)


そしてポーズをとった全身写真では…
















こんな感じの撮影会で、けっこうたいへんだった。

2時間の撮影会だった。

でも、貴重で楽しい経験になった。

〇〇市役所には感謝です。

なおこの広報誌は、11月1日発行。

大学の所在地の全世帯に配布されます。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013年10月11日金曜日

出会いがあなたを救う

秋晴れのある日のゼミ。



(個人情報保護のため、ぼかしてある)


グループでの話し合いで、A子がこう発言した。

「この大学に不本意で入学したので、高校時代の友人よりも、よいところに就職したい。」

高校時代の友人は、この大学よりも偏差値の高い大学に入学し、自分は惨めな思いをしているので、就職では負けたくないということだろう。

A子のように語る学生は時々いるし、理解もできる。

このような思いをバネにして、一生懸命、就職活動をすればいいと思う。

ただ不本意で入学したことと、大学生活に満足できることとは、別の問題だと思う。

不本意で入学したが、素晴らしい友人たちと出会って、充実した大学生活を送れたと語る学生は、決して少なくない。

不本意入学をしてふさぎ込んでいた自分を、出会った友人たちが救ってくれたというのである。

大学生活が充実するかどうかに、一番強い影響を与えている要因は何か。

それは、綺麗で清潔感があふれる大学の施設ではない。

それは、面白く、ためになる授業ではない。

一番強い影響を与えるのは、友人関係である。

自分の気持ちを素直に表現し、それを受けとめてくれる友人。

日々のささいな出来事の喜怒哀楽を、一緒に分かち合ってくれる友人。

お互いの考え方や価値観を刺激し合える友人。

このような友人との出会いこそが、大学生活を充実させる上で、最も重要だと思う。

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こう確信をもって言えるのは、私自身の大学生活がそうだったからだ。

男子9人女9人のクラス。

特に男子は非常に仲がよかった。

大学1年の頃は、友人たちと、笑い転げて毎日を過ごしたような気がする。

皆で学内の売店に入ったら、店員のおばさんからこう言われたことがある。

「あんたたち、とっても楽しそうね。生き生きとしている。」

これらの友人たちのおかげで、私の歪んだ人格はだいぶ修正された。

私の人生に対する価値観の一部は、これらの友人によって形作られたものだ。

これらの友人と出会えてよかったと、つくづく思う。今でも思っている。

そしてこうも思っている。

「この大学に入学してよかった」

私の入学した大学よりも、偏差値の高い大学はいくらでもある。

仮にもっと偏差値の高い大学に入学したら、この良き友人たちに出会えただろうか。

出会いは、いつもあるとは限らない、

そう考えると、この大学に入学したからこそ、この友人たちに出会えたと考えるべきだ。

仕事を持って生活ができるようになり、そして私のような年齢になると、学歴よりも友人との交流の方が、はるかに人生にとって大切だと感じられる。

今年の夏も、また大学時代の友人と、京都三条の木屋町で飲んだ。


(大学時代の友人たち)



大学を卒業しても、ずっと交流が続くこの友人関係が、とっても大切。

だから、不本意入学であってもいいから、大学生活は充実させてほしい。

大学の偏差値が低いだの、施設が不十分など、大学に対する不満は持っていい。

でも、すばらしい友人関係に恵まれて、大学生活は充実させてほしい。

大学に対する満足と、大学生活に対する満足は違うのだから。

2013年10月8日火曜日

「先生!やる気が出ないんです」

卒業研究の追い込みの時期。

4年生は、ほぼ1日中、演習室で卒業研究に取り組んだ。



(↑ ゼミが始まった演習室前の様子)




 (↑ 当日の演習室の様子)



途中A男が演習室を抜け出し、外の階段に腰を下ろして携帯をのぞいている。

どうも彼女とトラブルがあったらしい。

気持ちのやさしいB子が声をかけた。

「よかったら、話を聞こうか」

A男はそれを断り、気持ちが落ち着いたら皆のところに戻ると答えたという。

まあ男と女が2年間つきあえば、いろいろな時があるさ。

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しばらくして、今度はC男が研究室にやってきた。

C男 「先生、卒業研究、あの部屋では、やる気がでないんですけど」

先生 「どうして?」

C男 「皆と一緒にいると、遊んでしまって…」

先生 「そしたら、自分の部屋でやるんだな。」

C男 「でも、一人だけではできなくて、誰かそばにいないと…」

先生 「ふむ…」

皆がいれば一緒に遊んでしまうし、そうかと言って、一人でもだらだらしてしまって、できないというのだ。

学生なら誰でもこのような状況は経験したことがあるだろう。

先生 「つまり、卒業研究をする環境がベストでないと、なかなかできないということを言いたいのかな。」

C男 「まあ、そういうことになるのかな」

先生 「環境がベストであろうとなかろうと、気分がよかろうと悪かろうと、それなりにパーフォーマンスを維持することが大切だと思う。

C男 「……」

先生 「一流のスポーツ選手は、調子が悪い時でも、それなりの競技成績を出しているのではなかろうか。」

C男 「確かに、そうかもしれません。」

先生 「ゼミ生のD子をみてごらん。皆と一緒に遊ぶときもあるけど、着実に卒業研究を進めている。」



(↑ D子は、この日アイスを食べながら卒論に取り組んでいた。) 

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その夜、お風呂に入っている最中に、ぼんやりC男との会話を思い出していた。

そしてふと思った。

「気分がよかろうと悪かろうと、それなりにパーフォーマンスを維持することが大切」

今日、C男に言ったこの言葉。

昔、誰からか、言われたような気がする…

そして思い出した。

遠い学生時代のことを…

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当時、大学4年生だった。

進路のことで悩み、ゼミも欠席がちだった。

ある日の日曜日の午前中、ゼミの先生から電話がかかってきた。

今からすぐに研究室に来いという。

しぶしぶ、日曜日にもかかわらず、大学に向かった。

先生は怒るでもなく、先生が好きな研究者であるヴィクトール・フランクルの話をし始めた。

アウシュビッツ強制収容所での体験をもとに、名著「夜と霧」の著した精神医学者である。

先生の話の骨子は今でも覚えている。

「街はずれの靴屋のおっさんは、なぜ生きているのか」という命題についてだった。

街はずれの靴屋のおっさんよりも、高度な技術を持っている靴屋はたくさんいる。

自分よりも優れた靴屋はたくさんいるはずだから、その靴屋のおっさんは自己嫌悪になるはずだ。

そして自分の価値を認められず、靴屋をやっていても仕方がない、生きていても仕方がないと思うかもしれない。

しかし、その靴屋のおっさんは靴屋を続け、生きていこうとする。

その理由を、おまえは分かるかというものだった。

そしてヴィクトール・フランクルの生きていくための3つの価値について説明してくれた。

簡単に言えば、次のようなことだ。

その靴屋のおっさんは、自分なりに技術が向上することや、お客さんの喜んでくれることを通して、靴屋として生きる意味を見い出している。

つまり、生きる価値というものは、他人と比較するのではなく、自分で創造するもの。

だから、街はずれの靴屋のおっさんでも、靴屋を続け、生きていこうとする。

おそらくゼミの先生は、悩んでいる私にヒントを与えようとして、このような話をしたのであろう。

そしてこう言った。

「悩んでいても、どんな精神状態であっても、やるべきことは着実にやって、パーフォーマンスを下げないことが大切だ。」

この言葉は、私のその後の人生に影響を与えた。

だって、この言葉は、私の人生訓のひとつとなっているから。

ただ学生時代にゼミの先生から言われた言葉だったとは、すっかり忘れていたが…

自分の学生時代に、ゼミの先生から言われた言葉を、今こうして、自分のゼミの学生に言っている。

教育って、こうやって次の世代に引き継がれていくのだなと、妙に実感した。

C男が、将来自分の目標を実現させ、飲食店を経営するようになった時、きっとバイトの学生に言うことだろう。

気分がよかろうと悪かろうと、それなりにパーフォーマンスを維持することが大切であると。