2013年8月25日日曜日

思い出の中のゼミ生(2) 〜晩秋のひるがの高原〜

8月19日に卒業生のゼミ9期生のA子とB子が,
久しぶりに研究室を訪ねて来た。


二人ともすでに結婚している。

私はこの二人の結婚式に出席をした。

ゼミ生の晴れ姿を、私は一生懸命写真におさめている。





(私が撮影しました)
 
 そして現在…

A子は妊娠9ヶ月。もうすぐ出産である。さすがにお腹が大きい。
 

 


B子は8ヶ月の赤ちゃん連れである。
 




 

 ゼミ9期生は仲がよく、とてもまとまりがあった。



そのためか、他の期のゼミよりも、合宿の回数が1回多い。

 

そう言えば、合宿の時、私が…

 「ちょっと自宅に戻る。この合宿先から遠いので、戻って来るのに時間がかかる。」と言ったところ…


私の言葉を疑い、「先生の自宅は、この近くにあるに違いない」と推測して、私の後をつけたゼミ生たちがいた。


実は、歩いて数分の距離に私の自宅はあった。


ゼミ生たちは、私の後をつけ、見失ったが、最終的には私の自宅を探し出したのだった…(すごい執念!)


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A子が赤ちゃんに私を紹介する。

「この人が笹じいだよ。」

確かに年齢的には三世代にわたるが…

ゼミの卒業生が妊娠してお腹が大きくなったり、赤ちゃんを抱いているのを見ると、どうもピンとこない。

私の脳裏には、大学時代のゼミ生の面影が強く残っている。

何年たっても、当時の若々しいゼミ生のままである。

おそらく、青春時代のゼミ生と一緒に過ごした時間を、永遠なものにしておきたいと、無意識的に思っているのだろう。

私の中のゼミ生は年をとらない。

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実は、このゼミには忘れられない思い出がある。

ゼミ生のC子の母が、突然交通事故で亡くなったのだ。

その夜、C子から電話を受け取ったときの重苦しい瞬間は、今も忘れることができない。



私はゼミ生を連れて、C子の故郷に葬儀に向かった。

C子の故郷は、岐阜県と富山県の県境に近い山村であった。


途中、高速道路のひるがの高原のサービスエリアに立ち寄った。


晩秋の澄み切った空気に、山々が凛として清らかな姿を見せている。


深い悲しみに染み入るようだった。


私はずっと見つめ続けた。



 (私が撮影しました)



卒業後、大阪のある会社からもらっていた内定を辞退して、C子は故郷の近くの小さな町で働き始めた。


小さな町の会社なので給料は安く、休日もアルバイトをした。


精神的にも、経済的にも厳しい生活をしているようだった。

年賀状には「貧乏暮らしにも慣れました。」と書かれてあった。




数年後、同窓会が名古屋で開かれた。


故郷から名古屋まで3時間以上かかって、C子は参加した。

「(母が亡くなって)3年がたち、やっと気持ちが落ち着くようになりました。」

C子は元気そうな表情でそう語った。

まだまだ厳しい生活は続いているが、心に少しずつ余裕が生まれ始めている様子であった。


C子には特に幸せな人生を送ってもらいたいと思う。


そしていつの日か、C子の故郷に行く機会があったなら、食事に誘い、いろいろ話をしたいと思っている。


2013年8月13日火曜日

思い出の中のゼミ生(1)~野生的に生きる~

笹竹ゼミの歴史の中で、特に印象深かったゼミ生たちが何人かいる。

夏休みでネタがないので、そのうちの一組のゼミ生のことを書こうと思う。

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とても仲の良い3人がいた。

A子、B子、C子である。

A子は目がパッチリしていて、「喋らず黙っていれば」美人に見えた。

実際に若手の写真家から、モデルを頼まれたこともあった。

B子はリーダーシップがとれる子で、しっかり者。

ゼミの募集の時、「私、ゼミ長になりたいです」と言って、応募用紙を研究室に持参してきた。

C子はずっとガールスカウトをしてきており、人を魅了するオーラを持っていた。

C子の卒業研究発表を聞いた後輩が、「あんな先輩になりたい」と言っていたほどだった。

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この3人の共通点は、かなり個性が強いことと、ぶっ飛んだエネルギーを持っていることだった。

3人集まると、にぎやかで(うるさくて)、積極的(勝手気ままに)になり、活動的(やりたい放題)になった。

たとえば…

研究室にお菓子やパンがあれば、私に無断で食べ尽くした。

机の引き出しに隠してあっても、不思議に探し出していた。

ある時、私がおやつにと楽しみにしていたポテトチップスが被害にあった。

私が会議で研究室を留守にすると…

さっそく彼女たちはポテトチップスを探し出し食べた。

食べ終わると、菓子袋にティッシュを丸めて詰め込んだ。

そしてホッチキスで菓子袋の口をとめ、ばれないように細工をした。

そして元の場所に戻した。

私が会議から戻ると、何食わぬ顔をして、

「先生、会議、お疲れ様でした。私たち帰ります。」

その後、休憩しようと思って、私がポテトチップスを手に取ったところ…

「ん? 何か軽いな。こんなものかな。」

そして袋を破ろうとしたところ、ホッチキスでとめてあるではないか。

よくよく見ると、隙間からティッシュが見えた。

「しまった。やられた!」

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ある時、ゼミで社会見学に出かけた。

確か、裁判所あるいは県警察本部に行ったので、皆スーツを着ていた。

A子は「大人になった気分」などと言ってはしゃいでいた。

そして地下鉄の駅に来たとき…

A子は私に近寄ってくるなり、

「ひでほ~」と甘えた声を出し、強引に私と腕を組んできた。

「俺の方がセクハラで訴えられるからやめろよ」と私。

A子はますます面白がって、「ひでほ~」と連呼していた。

地下鉄の駅は多くの人が行き来しており、私は恥ずかしい思いをした。

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卒業研究の中間発表の時のことだった。

発表中、キーワードを説明した後に、

「さあ、みなさんもご一緒に、せ~の~!」

こう言って、会場の皆にキーワードを声をそろえて言うように促した。

もちろん、声を出してキーワードを言ったのは、笹竹ゼミ4年生だけ。

後の学生たちは、突然のことに、ポカ~ンとしていた。


(この様子を見学した2年生のレポートには…)

「型破りな発表で、はじめはふざけているのかと思った。

しかし内容はかなりまじめだったので、またおどろいた。」

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こんな感じで、3人との戦いの日々が続いていた。

やりたい放題だったので、これまで教育を受けてきたのだろうかと、疑問に思ったほどだった。

私には、野性的に生きているとしか思えなかった。

ただ、いたずらばかりしていたわけではない。

溢れ出るエネルギーをゼミ活動にも向けていた。

ある仮装マラソン大会にゼミで出ることを企画して、皆で衣装を制作し、努力賞を獲得したことがあった。

この時の賞状は、現在も研究室に飾ってある。



 


またゼミ新聞を発行することを企画し、毎月一生懸命制作していた。

この時のゼミ新聞の名残が、現在も研究室のホワイトボードに貼ってある。





卒業時に、ゼミの卒業文集を作成したのは、後にも先にも、このゼミ生たちだけだった。





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卒業式を待つばかりとなった2月初旬、私は研究室で仕事をしていた。

ちょうど机の上には、お菓子が置いてあった。

遠くから女の子たちの明るい笑い声が聞こえてくる。

そして、だんだん研究室に近づいてくる。

「A子、B子、C子だ!」

そう思った瞬間、私はお菓子をさっと掴み、引出しの中に隠した。

自分でもびっくりするほど俊敏な動きだった。

いつの間にか、私の体は、無意識的に反応をするようになっていた。


女の子の笑い声
    ↓

A子・B子・C子に違いない
    ↓

お菓子を食べられる
    ↓

隠さないとヤバイ


やがて、女の子たちの明るい笑い声は、研究室の前まで来た。

そして…

そのまま、女の子たちは私の研究室を通り過ぎて行ってしまった。

「なんだ、A子たちではなかったのか…」

私は安堵した。

お菓子を食べられなくて済んだからである。

そして、こう思った。

「彼女たちが卒業したら、お菓子を隠さなくて済むんだな~。楽になるな~。」

その瞬間、急に激しいさびしさがこみ上げてきた。

もう、彼女たちと会えなくなる。

お菓子を隠さなくて済むことは、別れを意味していた。

その事実が持つ意味が、実感となって私の体を走り抜けた。

野生人のようで、自由気ままなふるまいだったけど、明るくて元気で、気持ちのいい女の子たちだった…

その時、彼女たちとの戦いの日々が、とても愛おしく感じられた。

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ゼミの卒業旅行の二日目、私はゼミ生を残し、先に帰らざるを得なかった。

私の長男の卒業式に当たっていたからである。

卒業式に間に合うためには、早朝6時にタクシーに乗ってホテルを出なければならない。

そのことはゼミ卒業旅行を計画する段階で、ゼミ生は承知していた。

そして前日の夜に、ゼミ生には、午前8時に起きて朝食を食べるように伝えてあった。

翌朝、誰もいないホテルの玄関前で、私はタクシーに乗り込んだ。

ちょうどその時、どこからともなく、ゼミ生たちがタクシーのそばにすーと現れた。


「先生、ありがとう、気を付けてね。」

皆、口をそろえて言った。

私を驚かせようと、どこかに隠れていたらしい。

「あれ~、お前たち…見送りに…」

私はびっくりし、そして感激した。

早朝6時に起きるのは、たいへんだっただろうに…

おそらくあの3人が、私を驚かそうと思って考えたことだろうと思った。

私はタクシーのなかで涙ぐんだ。

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卒業してから、何年かが経ち…

A子は、教員採用試験に合格して教員になった(ちゃんと教員を務めているのだろうか…)

B子は、体育教室の指導者を務めた後、結婚して子どもが生まれた。

C子は、看護師になることを決意して、専門学校に入学し、現在は看護師として勤務している。


3人集まらなければ、皆しっかりできるんだね…。

















2013年8月3日土曜日

研究室へ毒素を抜きに~

7月31日、定期試験の最終日。

本学のある教室で、中学校の保健体育「喫煙と健康」の授業が行われていた。

 
 
 
 

教えているのは卒業生のゼミ8期生の〇〇。今は現役バリバリの中学校の教員である。

その授業を受けているのは現役バリバリの大学3年生、ゼミ16期生である。

中学校での自分の授業をよりよくするために、大学生相手に授業をして、悪い点を指摘してほしいと、〇〇から提案があった。

そこでゼミ3年生に協力をしてもらったのである。

授業が進むにつれて、私は驚いた。

正直言って、〇〇がこんなに授業のテクニックを使いこなしているとは思っていなかったのである。

イメージマップやら糸ミミズの実験やら、EXILE(エグザイル)までも持ち出して、喫煙の話を展開していた。

NHKのテレビ番組「ためしてガッテン」的な演出もしていた。
 
 

ゼミ3年生が教育実習で授業をするとき、参考になるところ満載といった感じであった。

ただゼミ3年生は、まだまだ「教える立場」になった経験が不足しており、この授業の構成のしかた、テクニックにピンと来ていない雰囲気だった。

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授業が終わって学食で皆でランチ。

もちろん協力してくれたゼミ3年生、そして〇〇に私がおごることになっていた(涙)。

食堂のおばさんが、笑いながらなぐさめてくれた。

「先生もたいへんですね。」


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ランチの後、研究室で希望するゼミ生を対象に、〇〇が教員採用試験のアドバイスをしてくれた。
 
 
 
 
 

後日〇〇が語ったところによれば、次のような出来事があったという。

〇〇がアドバイスをしているとき、ゼミ生は姿勢を正し、とても真剣で熱意を持って話を聞いていた。

話がとりあえず終わり、〇〇が研究室の本棚の近くに移動して、ふとゼミ生を見ると…

あるゼミ生が、先ほどとは違って、姿勢を崩してソファに寄りかかり、

「先生~、これ取ってぇ~」と甘えた声を出していた。

〇〇は、ゼミ生の態度の変化にびっくりした。

そして次のように思って、うれしくなったという。

「この研究室では、素直で自然な自分を出してもいいんだ。」


たしかに、ゼミ生が、純粋で明るくて元気で、生き生きとするような研究室の雰囲気をつくりたいと思っている。

周囲に気を使いすぎ、ハッタリで自分を防衛してほしくないと思っている。

このような研究室の雰囲気は、実は、〇〇は大学時代から知っていたはずだ。

なぜなら、〇〇こそが研究室ではこのような態度を取っていたから。

おそらく、このゼミ生の態度を見て、改めてこの研究室の雰囲気に気づいたのだろう。

 
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ゼミ生に授業を受けてもらった翌日、中学校で部活動の指導をした。

その時、自分の心が軽くなっていることに気がついた。

いつもより、部活動の指導が楽しい。

思い当たるふしがあった。

自分の所属した大学の研究室で、ゼミの後輩たちにアドバイスするなどして、ひと時を過ごしたことで、毒素が抜けたような感じがしていた。

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〇〇からこの話を聞いて、私はうれしかった。

この研究室の雰囲気で、心が軽くなったのだから。

もちろん私はゼミ生を甘やかすつもりはない。

卒業研究の取り組み方などは、たぶん、どこのゼミよりもハードだ。

卒業研究の抄録の書式ミスも、自分で探せと突っ返している。

しかし、だからと言って、ゼミ生の気持ちを抑えつけようとは思わない。

ゼミ生が素直な気持ちを表現できるように配慮し、その気持ちを聴くようにしている(聴くだけだが…)。

また心に余裕があれば、ゼミ生の不満を聞いて納得をさせようともする(失敗することが多いが…)。

 
私のゼミ生への接し方に賛否両論がある。
 
「ゼミ生にもっと毅然とした態度を取った方がいい」と忠告してくれる先生もいる。
 
そうかもしれないとも思う。

おそらく、私のこの態度は、私の性格や人間観、人生の処し方の現れなのだろう。
 
良いか悪いかは別にして、いつの間にか、これがゼミの雰囲気となっていた。

古巣の研究室を訪ねたら毒素が抜けて元気になったと言われることは、うれしいことに違いない。

私としては、昔と変わらない態度で、かつてゼミ生であった時と同じように、卒業生に接しているだけだが…