私の大学時代の親友が、夢の中に現れた。
その夢とは…
「私は、千葉県にいる大学時代の友人を訪ね、自宅に戻ってきた。
すると、なぜかその友人が私を追って来た。
友人は、私が仕事で使っているパソコンの前に座った。
そして、書類のスキャンはこうしないといけないと言って、マウスを使って実演した。
私が、マウスを使わずに、専用のスキャナを使っていると言うと、マウスの方が手っ取り早いと言う。」
目が覚め、時計を見ると、5時18分だった。
布団の中で、なぜ大学時代の友人が現れたのだろうと考えた。
思い当たる節があった。
最近、てきぱきと効率よく論文が書けず、いらいらしていたのだ。
もっと効率のよい手順を考えて、論文に取りかかる必要がある。
そのことを大学時代の友人が代弁して、私に言い聞かせようとしたのだと思う。
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この大学時代の友人は、人を見る目がとてもやさしかった。
単に人に優しいと言うことではない。
金八先生みたいに、厳しさのなかにも、あたたかさを感じさせる何かがあった。
(20代の頃の私と大学時代の友人。伊勢神宮にて)
そして、この友人はひどく素直なところがあった。
たとえば…
大学時代、彼には思いを寄せる女性がいた。
ある時、自分の思いを彼女に打ち明けたが、結局ふられてしまった。
彼は、寂しさをうぎらわすために、深夜ひとりで、大学の近くを通っているスカイラインを原付車で走った。
そこで交通事故を起こしてしまった。
幸い軽傷ですんだが、私が彼のアパートを訪れた時には、頭に包帯を巻いていた。
また彼は教員採用試験に合格し、大学卒業後は、中学校の教員になった。
しかし、彼の教育観は、公立の学校教育には合わず、悩んでいた。
ある朝、彼が中学校に出勤するところを玄関で母親が見送った。
ふと見ると、彼の鞄の中に当時私が彼に送った封書が見えた。
彼の様子がおかしいことを、母親は気付いていたので、心配して、私に電話をかけてきた。
「○○の様子がおかしい。もしあなたに連絡をしてきたら、相談にのってほしい。」
母親は私にそう語った。
当時、私は京都で仕事をしていた。
そしてその数日後、彼は京都にいる私を訪ねてきた。
元気そうな顔だった。
私はとりあえず3日間の休暇を取って、仕事を休んだ。
大阪に、大学時代の親しい友人がいたので、彼を呼び寄せた。
そして数日間、私のアパートで3人で昼夜をともに過ごした。
夜も一緒に寝た。
3人で、京都の鞍馬寺、嵐山などに行った。
嵐山では、平日のため観光客がほとんどいなかった。
それをいいことに、道路脇にあったベンチを持ち出して、桂川の真ん中に運び込んだ。
そして、川の流れに足を浸しながら、3人でおしゃべりをした。
今から考えると、ちょっとびっくりの光景。
地元の人からよく叱られなかったものだと冷や汗ものだ。
結局、数日後、彼は地元に戻り、そして年度途中で中学校の教員を退職した。
彼は純粋だったので、真剣に教育を考えていた。
そして彼の理想とする教育が、公立の学校教育では実現できないことを、真剣に悩んでいた。
この純粋さ、真剣に悩む姿は、今から思うと、とてつもなく貴重で、大切なものに思えてくる。
人生にまっすぐに立ち向かっている感じがする。
現在、この友人は、個人経営としては規模が大きい学習塾を経営している。
面倒見のよさや教え方がうまいことが評判になって、地元では多くの子どもたちが集まってくる。
学習塾の講師の授業コンクールでは、全国優勝を達成している。
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私は大学時代は、おおいに悩むべきだと思っている。
その時は苦しいが、その後の人生で、人間性に深みが出るように思う。
昨日も、研究室にゼミ生が悩んで訪れた。
進路の悩みだ。
いろいろな人に相談したが、まだ結論を出せないでいる。
実は、彼女は心の奥底では結論を出している。
ただ、もう一歩が踏み出せないのだ。
(進路で悩むA子。写真を撮ったら、「どうせブログに載せるつもりでしょ」と元気のない声)
その日、1年生の私のクラスの授業があった。
入学してまだ3週間。
同じクラスだが、お互い、名前も顔もしっかりとわからない状況だ。
そこで、グループに分かれて自己紹介をし、お互いに自由に質問するエクササイズを行った。
そしたら、どのグループもすぐにワイワイ、ガヤガヤ。
そのエネルギーの高さにびっくりした。
1年生はさすがに若かった!
ゼミ3年生、4年生も元気だが、とても1年生のエネルギーには勝てないだろう。
そう考えると、ゼミ3年生、4年生は大人。
進路について真剣に悩むのは当然だ。
もっと、もっと悩めばいい。
決してムダにはならないから。